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横浜地方裁判所 昭和35年(レ)71号 判決 1961年12月25日

事実

被控訴人(一審原告、勝訴)新光産業株式会社は、請求原因として、控訴人稲波敬は昭和三十一年十二月二十一日金額十万円、受取人訴外鈴木英臣なる約束手形一通を振り出し、同訴外人は昭和三十一年十二月二十二日右手形を被控訴人に裏書したので、被控訴人はその満期にこれを支払場所に呈示したがその支払を拒絶された。よつて被控訴人は控訴人に対し、右手形金十万円及びこれに対する利息の支払を求める、と述べ、更に控訴人の主張事実を否認して、仮りに、控訴人が訴外鈴木英臣に対し、本件約束手形の振出人欄、振出地及び支払地の欄を空白としたままこれを交付し、控訴人において同訴外人がその未完成部分を補充することにつき承諾を与えなかつたとしても、左の理由により控訴人は被控訴人に対し右約束手形金支払の義務を負うものである。すなわち、約束手形の記名捺印は、我が国の慣行による取引上の便宜にもとづき、専ら捺印の個性により手形面において本人の同一性を鑑別し、これにより手形の真偽を判定せしめようとするものであるから、自ら約束手形の用紙に手形要件の全部又は一部を記入した上、自己の印章を捺印してこれを他人に交付した者は、記名の委託をする旨の特別の意思表示を欠く場合でも、かような手形用紙を交付したこと自体により、その者に対し、後にその手形用紙に振出人の記名をなして手形の完成をなすことを委託したものと解する商慣習があり、この商慣習は商法第一条のいう商慣習法として認められているものである。従つて、控訴人は、本件約束手形につき、金額、支払期日、振出日、支払場所及び受取人を自署し、振出人欄に自己の印章を捺印してこれを受取人たる訴外鈴木英臣に交付したものである以上、控訴人と同訴外人との間に特に振出人欄の記名を同訴外人に委託せず、後に控訴人において自らこれをすることの約定があるにも拘らず、その後同訴外人がその約定に反して振出人の記名をなし、本件約束手形を流通においたものであるとしても、控訴人は善意の所持人たる被控訴人に対抗できないものである、と主張した。

控訴人稲波敬は被控訴人主張の請求原因事実中、控訴人が本件手形を振り出したことを否認し、控訴人は、昭和三十一年十二月二十月頃、訴外鈴木英臣から昭和三十二年二月頃には同人の妻に入金の予定があり、その金で債務は必ず弁済するから約束手形を振り出して貰いたい旨懇請されたが、訴外鈴木英臣を信用することができなかつたので、果して同訴外人の妻に入金の見込があるか否かを確かめた上で手形を振り出すこととし、取りあえず、約束手形用紙に金額、満期、支払場所、振出年月日及び受取人氏名を記載した上、その余の部分は白地のまま振出人の印を押捺し、訴外鈴木英臣において右手形用紙をその妻に見せて妻の入金が確実であれば、控訴人が右白地の部分を記入することを説明し、妻が控訴人に対し、右入金の予定を明確にしたときに改めて約束手形を振り出すべき約定のもとにこれを訴外鈴木英臣に一時預けたところ、同訴外人が擅に右白地部分すなわち支払地、振出地及び振出人住所氏名を記入して、これを被控訴人に裏書したものであるから、被控訴人の控訴人に対する本訴請求は失当である、と抗争した。

理由

証拠を綜合すると、控訴人は昭和三十一年十二月二十一日頃同業者でかねて知合であつた訴外鈴木英臣の求めにより、本件約束手形用紙に金額を同訴外人の要求どおり金十万円とし、振出の日を昭和三十一年十二月二十一日、満期を昭和三十二年二月二十五日、支払場所を中南信用金庫二宮支店、受取人を鈴木英臣とそれぞれ記入し、振出地及び支払地の欄を空白のままとし、振出人欄には記名をなさず、単に控訴人の母稲波むめの稲波と刻印した印を押捺した上、後日訴外鈴木英臣の妻からその返還に関し、確約を得た後、控訴人が自ら振出人の記名をなす約束のもとに訴外鈴木英臣に右手形用紙を交付したところ、同訴外人は控訴人の同意を得ずに右手形用紙を受領した翌日である昭和三十一年十二月二十二日印刷用の活字を用いて振出人欄に控訴人の記名をなし、又振出地及び支払地を何れも神奈川県二宮町と補充して、これを被裏書人欄白地の裏書により被控訴人に譲渡したことを認めることができる。そして、右認定の事実によれば、控訴人は訴外鈴木英臣に対して控訴人に代つて振出人の記名をする権限を授与したものではないから、本件約束手形は偽造手形であり、本来控訴人にはその支払義務がないものといわなければならない。

そこで進んで、被控訴人の仮定抗弁について判断するのに、すでに認定したとおりの事実関係の下に流通におかれた約束手形についても、なお約束手形の交付者が振出人として善意の所持人に対しその支払義務を免れ得ないとする商慣習の存在しないことは、差戻後の当審における鑑定人駒沢弘明の鑑定の結果に徴してもこれを認めることができるから、かかる商慣習法があることを前提とする被控訴人の右主張も理由がない。

してみると、結局控訴人は被控訴人に対して本件約束手形金並びにこれに対する利息の支払義務はないものといわなければならないから、右と異なつて被控訴人の請求を認容した原判決は不当である。

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